しなやかに可愛らしく

今月の日経新聞私の履歴書岸恵子でこれがとても素敵で。ひょんなことから昔のほぼ日の糸井さんと岸恵子さんの対談の記事も発見して読んでみた。

 

その中で糸井さんが世の中には何歳になっても可愛いと言われる人がいて、勿論、岸恵子もその中の一人だけれど、可愛いと言われる人の共通点は何だろうと考えたと話していた。そして彼の糸井さんの結論としては人を「喜ばせた分量」と人に「愛された分量」を足し算なのではないかと。

 

そこで岸恵子がフランス人によく可愛いと言われるけれどフランス語の可愛いにはこころよいというニュアンスが含まれていると言う話をしていた。

 

岸恵子って本当に素敵で可愛らしくて憧れてしまう存在。私はしなやかな女性(ひと)になりたいと思っていたけれど、しなやかで可愛らしい女性(ひと)の方がいいかもとか思ったりして。可愛いの語源も調べらたら「かわいそう」と同じとあったので今ちょっと考え中。

 

それでもこんなに素敵な女性を知ることができてとても嬉しい日でした。ぱちぱち。

 

で、Amazonプライム岸恵子で検索したら家宅の人の映画が上がってきたので出演してるのかと思って観たら出てなかった。。。何故?でも面白かったからいいけど。

昨日アップするの忘れたけど嬉しい

昨日アップしてないことに今日まで気が付いてなかった。でも嬉しい。変な完璧主義なところがあって一度こけるとやる気をなくすタイプなんだけど、こけたことも気がつかないので、こうして続けられる。そういえばNOW VOICEでダルビッシュが続けられない人は完璧主義すぎるのと目標が高すぎるって言ってたな。確かに。

 

自然にこうやってバーが下がったから嬉しい!

これから毎日無理してアップしないでもいい。って別にこれまでも無理してアップしていたわけではないけれど、本当に毎日なんらかの嬉しいことってあるものだから。でも肩の力を抜きなよって言われた気がする。しみじみ嬉しい。

理系と文系

自粛生活で理系の勉強も文系の勉強もしていてやっぱり私は文系の方がずっと好きで興味を持っているんだなあと思うことが多かったんだけど、ほぼ日の学校が今月までなのでラストスパートで滞っているダーウィンのシリーズを観て思い出したこと。

 

自然科学、人文科学という言葉に気がついたのは 高校生の時かな。文系も科学なんだと衝撃。で、冷静に考えてみたらダビンチなんて文系でも理系でもないというよりは昔は科 学と呼んでいたのかもわからないけれどそんな区分けはなかったんだろうなということ。それがどんどん専門的になって分かれていった。けれども突き詰めればまた同じスタート地点に戻るのだろうと。

 まだ思いつきというか、高校の時にそう思ってそこで止まっていることを思い出せただけでも嬉しい。また考えるきっかけを与えてもらった。

失われた時を求めて

プルースト失われた時を求めてをずっと読みたいと思ってた。集英社の完全訳全13巻と抄訳上下巻に岩波の消えたアルベルチーヌまで持っていて全くページを開くこともなく、唯一読んだのは漫画版失われた時を求めてだけ。

 

ずっと機会を待っていたらついに到来!今度仲間内で読書会をすることに。お一人プルーストをずっと研究されていてフランス留学でも勉強された方がいることが判明しその方を囲む読書会という名の勉強会が全3回で始まります。

 

それぞれの会で課題として失われた時を求めての中からページ数を指定されそこを読んで参加という。読書会なるものが初めてなので何を話すのかもわからないけれど凝り性なので該当箇所3回分の岩波文庫ちくま文庫も購入。まず、ちくま文庫が届いてたので今日は集英社文庫を読んでから同じ該当箇所をちくま文庫で。うん、一度読んだ後だからというのもあるんだろうけど読みやすい。明日岩波文庫も到着予定なので読み比べ。これって楽しい。次回は読む順番を変えてみてどの翻訳が一番好みか考えてみよう。でも全巻持ってるのは集英社だし、上下の抄訳も集英社で同じ訳者なので願わくば集英社がいいなあ。

 

その他にもフランスコミックのスワン家のほうへ(失われた時を求めての最初、あの有名なマドレーヌの話はここで登場!勉強会では第3回目に読みまあす。)も買ったし、角田光代さんが共同編訳で全一冊版も出していてそれも買っちゃって、少しづつ読み進めていきたいなあ。

 

失われた時を求めてを読むきっかけができて嬉しい!

自分にとって厳しい道を選択

カヌーの羽田さんがNow Voiceの中で選択をするときに必ず自分にとって厳しい道を選択して欲しいと言ってた。これって私が選択するときに自分に問う問いかけ「これは逃げか」というのと同じなんだろうな。

 

しかも彼がもう一つ印象的なことを言っていて最終的な目標があれば何を選択するは自ずとわかるというもの。確かに最終的な理想系があればそれに近づくための選択は厳しい方になるし、逃げるような選択を選ぶなんてことはない。

 

アスリートの話がいいなあと思うのは彼らは自分の目標に向かって一心に考え行動しているから。しかもスポーツという結果が出る世界にいる彼らの判断基準が明確。迷いがない。本当は色々迷うこともあるんだろうけどね。

 

「これは逃げか」とよく自分に問いかけてたなあ。最近サボってるかも。思い出させてくれてありがとう。嬉しい。

コロナも落ち着いてきて。。。

関西の緊急事態宣言が解除されました。私のいる関東はまだですが少しづつ落ち着いてきていることは事実でまだmだ油断はできないけれどよかったなあと思っています。これだけでも嬉しいことです。そしてこんなにも考える時間を与えてくれたことにも感謝します。まだしばらくは続くでしょうからこの時間を大切にして、また動き出したときに忘れてはいけないことも意識していかないといけないなあと思っています。

シェイクスピアはわれらの同時代人

タイトルは今度読み始めた本の題名。ポーランド出身の筆者が語るシェイクスピア論。シェイクスピアの講座を聴いて興味を持った参考文献。

 

まだ読み始めだけど、ここにメモっておきたいほどワクワク。これが2段組で350ページ超あるので最後まで読むのにはそれなりの時間がかかるだろうから自分が反応した時には書いておかないと忘れてしまう!

 

まずは私の一番好きな作品群の中のリチャード3世とタイタス アンドロニカスがどちらもシェイクスピアの初期に書かれた作品ということ。恐らくそれ故にストレートに迫ってくるものがあって好きなのだと妙に納得。リチャード3世は上演されると必ず観に行くというくらい大好き。タイタスは上演機会はあまりないけれど、これまでに観たシェイクスピアの舞台の中で一番印象に残っているもの。しかも、それがタイタスを観た初めての体験でかつ、なんと、ルーマニアの劇団によるルーマニア語の上演だったという。あらすじは頭に入れてから観に行ったけれど、ここまで衝撃を感じるというのは言葉ではない何かなんだということを身をもって実感した機会だったなあ。

 

次に私がこの本で反応したのはシェイクスピアの歴史劇は新しい王の即位から始まり次の王の即位で終わるという、その繰り返しだということ。タイトルがそれぞれの王の名になっているということからもその王の時代を描くということなのだけれど、言われてみてなるほどと。

 

今自粛生活の中で毎日色々な本を読んだり、ネットで講習を受けたりしているけれど、例えばこのシェイクスピアとか万葉集とか歌舞伎とか興味のあることはとても面白い。資本論も少しづつ読み進めているけれど、これは自分に耐性をつけるための訓練のような認識で、シェイクスピアはわれらの同時代人の中で資本論の引用が出てくるだけで嬉しくなって、このためだけでも読んでいてよかったなと思えるし、他の文章を読む時のハードルが下がっていると思う。ほぼ日の学校も興味あるのは全部観終えてしまったので今はダーウィンを観て勉強中だけど、観ながら、毎回色々なテーマ側面から語られるけれど、本当にそこまで興味を持てない自分を自覚しつつ、知識としてふうんと観ているのが面白い。何が好きで何に興味がないかが自分の反応を見ていてよくわかるので、自身の再認識の機会をも与えられているんだなあと。しかも、興味ないと普段は知り得なかったであろう情報も時間のある今だから吸収することができているということを考えるとありがたいなあと思う。

 

本当にこのお篭り生活も色んな意味で嬉しいことがたくさん!