理系と文系

自粛生活で理系の勉強も文系の勉強もしていてやっぱり私は文系の方がずっと好きで興味を持っているんだなあと思うことが多かったんだけど、ほぼ日の学校が今月までなのでラストスパートで滞っているダーウィンのシリーズを観て思い出したこと。

 

自然科学、人文科学という言葉に気がついたのは 高校生の時かな。文系も科学なんだと衝撃。で、冷静に考えてみたらダビンチなんて文系でも理系でもないというよりは昔は科 学と呼んでいたのかもわからないけれどそんな区分けはなかったんだろうなということ。それがどんどん専門的になって分かれていった。けれども突き詰めればまた同じスタート地点に戻るのだろうと。

 まだ思いつきというか、高校の時にそう思ってそこで止まっていることを思い出せただけでも嬉しい。また考えるきっかけを与えてもらった。

失われた時を求めて

プルースト失われた時を求めてをずっと読みたいと思ってた。集英社の完全訳全13巻と抄訳上下巻に岩波の消えたアルベルチーヌまで持っていて全くページを開くこともなく、唯一読んだのは漫画版失われた時を求めてだけ。

 

ずっと機会を待っていたらついに到来!今度仲間内で読書会をすることに。お一人プルーストをずっと研究されていてフランス留学でも勉強された方がいることが判明しその方を囲む読書会という名の勉強会が全3回で始まります。

 

それぞれの会で課題として失われた時を求めての中からページ数を指定されそこを読んで参加という。読書会なるものが初めてなので何を話すのかもわからないけれど凝り性なので該当箇所3回分の岩波文庫ちくま文庫も購入。まず、ちくま文庫が届いてたので今日は集英社文庫を読んでから同じ該当箇所をちくま文庫で。うん、一度読んだ後だからというのもあるんだろうけど読みやすい。明日岩波文庫も到着予定なので読み比べ。これって楽しい。次回は読む順番を変えてみてどの翻訳が一番好みか考えてみよう。でも全巻持ってるのは集英社だし、上下の抄訳も集英社で同じ訳者なので願わくば集英社がいいなあ。

 

その他にもフランスコミックのスワン家のほうへ(失われた時を求めての最初、あの有名なマドレーヌの話はここで登場!勉強会では第3回目に読みまあす。)も買ったし、角田光代さんが共同編訳で全一冊版も出していてそれも買っちゃって、少しづつ読み進めていきたいなあ。

 

失われた時を求めてを読むきっかけができて嬉しい!

自分にとって厳しい道を選択

カヌーの羽田さんがNow Voiceの中で選択をするときに必ず自分にとって厳しい道を選択して欲しいと言ってた。これって私が選択するときに自分に問う問いかけ「これは逃げか」というのと同じなんだろうな。

 

しかも彼がもう一つ印象的なことを言っていて最終的な目標があれば何を選択するは自ずとわかるというもの。確かに最終的な理想系があればそれに近づくための選択は厳しい方になるし、逃げるような選択を選ぶなんてことはない。

 

アスリートの話がいいなあと思うのは彼らは自分の目標に向かって一心に考え行動しているから。しかもスポーツという結果が出る世界にいる彼らの判断基準が明確。迷いがない。本当は色々迷うこともあるんだろうけどね。

 

「これは逃げか」とよく自分に問いかけてたなあ。最近サボってるかも。思い出させてくれてありがとう。嬉しい。

コロナも落ち着いてきて。。。

関西の緊急事態宣言が解除されました。私のいる関東はまだですが少しづつ落ち着いてきていることは事実でまだmだ油断はできないけれどよかったなあと思っています。これだけでも嬉しいことです。そしてこんなにも考える時間を与えてくれたことにも感謝します。まだしばらくは続くでしょうからこの時間を大切にして、また動き出したときに忘れてはいけないことも意識していかないといけないなあと思っています。

シェイクスピアはわれらの同時代人

タイトルは今度読み始めた本の題名。ポーランド出身の筆者が語るシェイクスピア論。シェイクスピアの講座を聴いて興味を持った参考文献。

 

まだ読み始めだけど、ここにメモっておきたいほどワクワク。これが2段組で350ページ超あるので最後まで読むのにはそれなりの時間がかかるだろうから自分が反応した時には書いておかないと忘れてしまう!

 

まずは私の一番好きな作品群の中のリチャード3世とタイタス アンドロニカスがどちらもシェイクスピアの初期に書かれた作品ということ。恐らくそれ故にストレートに迫ってくるものがあって好きなのだと妙に納得。リチャード3世は上演されると必ず観に行くというくらい大好き。タイタスは上演機会はあまりないけれど、これまでに観たシェイクスピアの舞台の中で一番印象に残っているもの。しかも、それがタイタスを観た初めての体験でかつ、なんと、ルーマニアの劇団によるルーマニア語の上演だったという。あらすじは頭に入れてから観に行ったけれど、ここまで衝撃を感じるというのは言葉ではない何かなんだということを身をもって実感した機会だったなあ。

 

次に私がこの本で反応したのはシェイクスピアの歴史劇は新しい王の即位から始まり次の王の即位で終わるという、その繰り返しだということ。タイトルがそれぞれの王の名になっているということからもその王の時代を描くということなのだけれど、言われてみてなるほどと。

 

今自粛生活の中で毎日色々な本を読んだり、ネットで講習を受けたりしているけれど、例えばこのシェイクスピアとか万葉集とか歌舞伎とか興味のあることはとても面白い。資本論も少しづつ読み進めているけれど、これは自分に耐性をつけるための訓練のような認識で、シェイクスピアはわれらの同時代人の中で資本論の引用が出てくるだけで嬉しくなって、このためだけでも読んでいてよかったなと思えるし、他の文章を読む時のハードルが下がっていると思う。ほぼ日の学校も興味あるのは全部観終えてしまったので今はダーウィンを観て勉強中だけど、観ながら、毎回色々なテーマ側面から語られるけれど、本当にそこまで興味を持てない自分を自覚しつつ、知識としてふうんと観ているのが面白い。何が好きで何に興味がないかが自分の反応を見ていてよくわかるので、自身の再認識の機会をも与えられているんだなあと。しかも、興味ないと普段は知り得なかったであろう情報も時間のある今だから吸収することができているということを考えるとありがたいなあと思う。

 

本当にこのお篭り生活も色んな意味で嬉しいことがたくさん!

敬意と嫌いな人

今日のほぼ日の今日のダーリンは嫌いについて糸井さんが書いていた。何をもって人は人のことを嫌いと判断するのか。

 

読んでいる途中でも私の推測は知らないから。でも、その人のことをよく知らないのは恐れにはつながるけど、知っていても嫌いな人は嫌いであるかもしれない。もしかすると知れば知るほど嫌いになるかもしれない。

 

糸井さんの結論は敬意だった。これは彼の考え方で糸井さんは相手に敬意を払わない人を嫌うらしい。

 

私は基本的に人の好き嫌いはあまりない方だと思う。というか、本当に「好き」「嫌い」が人はに対してなくて、この人のここが好き、ここが嫌いとなるので、そういう意味でとても好きな人にも嫌いというか、あまり好きでない側面もあるし、苦手な人にも好きな面、素晴らしい面があったりするので、その人個人全体をそこまで嫌いになれない。

 

大体すごい人ってお友達には持ちたくないタイプとかいうし。それって、そういうことかなと思ってたりもするんだけど。

 

と書いて、それでは自分にとってその人の嫌い一面とか苦手な一面て何かなと思った。これについてはこれから考えます。

 

こういうきっかけを与えられて嬉しい。

平和とは

この前にも触れたコスタリカの本(丸腰国家)を読み終えた。最後の方のページにコスタリカの人たちに平和とは何かと聞いた答えが書いてある。

 

小学校5年生の答え

「民主主義」「家族」理解」「愛」「人権」「環境」

 

庭師のおじさん

「静寂、平穏。落ち着いた暮らしができること」

 

裁判所職員

「私たちに内在する固有の価値観で、私たちを私たちたらしめる重要なものです。私たちが自由を感じること。私たちの代表を選ぶこと。誰とでも気軽に話すことができること。思ったことを自由に表現できること。」

 

日本人に平和とはと聞くと戦争のない世の中とかそれに近い答えが多いのかなと思う。出発点はそこにあってそれを忘れてはいけないけれどその先に何を作り上げるのかという意識も必要なのかなと考えさせらた。

 

元ファーストレディのフィゲーレスは全てのインタビューをこの言葉で締め括るという。

「平和とは、終わりなき闘いなのです。」

 

常にアクションを要求されるものなのだと気づかせてもらえて嬉しい。