お天気がカラッとして嬉しい
昨夜は眠れなくて夜中にムクッと起き上がって、キョンキョンのエッセー集を読み始めてしまった。面白い本をこういうときに読んではいけない。楽しくて眠るどころではなくなってしまうから。最初から読み始めで完読してしまった。おかげで睡眠時間は3時間ちょい。
朝は普通に起きたけどしばらくしてやっぱり眠くて耐えられず朝寝。こういうときにおこもり生活は融通がきいていなあ。今日の東京は昼間は結構気温が上がったようで場所によっては真夏日もあったとか。
涼しくなるのを待って夕方にお散歩にでた。暑さも和らぎ涼しい風も吹いていてとても気持ちよく幸せな気分になった。この季節のこういう気温と適度な日差しって大好き。嬉しいし楽しい!
「短歌をよむ」を読む
短歌が面白いと思えてきたので俵万智さんの短歌をよむを購入してこん週末に読んでみた。何回か思いつきで下手な短歌をこのブログにも載せたけど今度からはそれは止めようと思う。やはり推敲して考えてからブログとはいえ発表するべきものみたい。
でも、俵さんも「あっ」っという心が揺れるから短歌が詠めると書いてあって、私もずっと一瞬の心が反応したことを短編か何かで書き留めておきたいと思っていたことを思い出した。とても大切なことなのに書き留めておくこともせず、そう思ったことすら忘れていた。思い出せて嬉しい。そして短歌という形式が私にあっているかはわからないけれど俵さんのように心が反応した瞬間を短歌の形でなくとも書き留めて時間をかけて言葉を探し短歌の形に整えていってみようかと。自分で満足がいくもの、お気に入りができたらここに載せようかな。
よろこびの遊びをしているだけで嬉しいことが増えているのに短歌にも挑戦なんて感性が更に深まりそうでとても楽しみ。
それから昨日書いた心技体に関連して。心が反応してから動き出す短歌や芸術は心なのかな。でも短歌という形にするには体という基盤を固めて初めて可能。でもきっかけは心だ、やっぱり!色々なもので順番は違うのかもしれないけれど3つが大切というのは同じ。でも「短歌をよむ」の最後の章で今は素人の時代で技術が伴うと心を打つ作品を作るのが難しくなって、初期の荒削りの作品の方が優れていることも多いともあったなああ。難しい。。。でも楽しい。
心技体
心技体という言葉がある。
これ昔からある言葉だから縦に書いてたのよね、きっと。
それならばとても正しいと思う。
一番下に体がくるから。
体、つまり体力が基本的には基礎となるものだと思うから。
技はある程度まで身体が作られていないと、ある程度の体力がないと習得するのは難しい。
新しく運動を始めると今まで使ったことのない場所を使ったりして筋肉痛になったりする。それがなくなって初めて技術を学ぶことができる。
心って不思議で例えばやる気がない場合でも、とりあえず身体を動かしていると脳がその気になってくるらしい。体を鍛える、技を習得する、その努力と時間が自分への自信となって心に作用する。
だからこの順番というのはとても正しいと思う。
こういうことを今更ながら考えられるようになった自分が嬉しい。
想定外は想定内
こんな中でも楽しく過ごせているのは最初にすることを決めて、毎日その決めたことをコツコツこなしているというのは何回が書いたように思うけれど、それと元から先着受付順主義で予定を最初に入れた場合にはよっぽどの理由でない限りは後からどんなに美味しい話が来ても先に予定が入っていれば断るルールも持っていることというのもあるかも。(仕事は優先順位上なのでプライベートの予定と仕事が重なったら後から仕事が入っても流石にプライベートにはごめんなさいするけど。)
そうすると想定外の事態にも新しくすることを決めればいいだけでそれをコツコツこなすというスタンスに何ら変わりはなく。走りながら考える派なのですることも少しづつ微調整を入れてます。しかも自分に甘くできなくてもあまり気にしない。その前の生活パターンを新しいリストを作るということでそのまま適応でき、しかも先着受付順なので甘いお誘いにも考えることがなくノーということができ、しかもそういうポリシーだと説明できる。
今回の想定外の事態にも結局同じ対応が通用するということは想定内って言ってもいいのかなと思ってこういうタイトルにしてみました。そしてそういうリズムがあったことに感謝!感謝と嬉しいって同じよね。よろこびの遊びには。
青空と緑が綺麗で嬉しい!
今日はカラッと晴れて暑すぎもせず本当に気持ちのいい日です。こういう中のお散歩は太陽の光を浴びるだけで幸せになります。そんな意識はなかったけれど、それでも縮こまっていたらしい心のヒダがひとつひとつのばされていく感じ。
一滴の 水と光を きっかけに
くしゅくしゅの心
ほぐされてゆく
自分を信じられる自分を常に作りあげていく
これイチローの言葉。
2018年のトヨタよ豊田社長と小谷さんとイチローのここだけの話を聞いていて最後にイチローが言った言葉。凄い人の刺激を受ける言葉に巡り合えるのも幸せだと思う。
自分を信じるためには当然普段から準備するということはとても大切で、それもイチローに学ぶべきことでもあるけれど、準備できていないものに突然ぶつかった時に自分を信じられるかは、それまでの自分の小さな成功体験の積み重ねなのかなあと思う。小さなハードルでも毎日毎日クリアしていけばそれはそれで立派な実績。周囲がどうこうではなく、自分で自分を認めることのできる自信となる。
そういえば豊田社長の闘うは自身のとの闘いを指しているというのも同じことなんだろうな。よく受ける質問が闘うというのに対立軸がないというのは矛盾していませんかというものというのが、闘いというと普通の人は相手を連想することの現れなんだろうな。真に真摯な人は常に自分に対しているので、周囲がとどう思おうが、周囲がどう評価しようが、世間の常識などにも囚われずに判断して行動している。
そうなりたいなあ。